武雄古唐津系小山路窯の由来と伝統
肥前陶芸史の系譜のなかで、武雄古唐津系は北部と南部に展開し、なかでも南部(現在の武雄市東川登町)の内田皿屋、「小山路窯」は、武雄領主(後藤氏)が桃山末期に保護督励し、創業した窯場である。
肥前古唐津の諸窯は、文禄慶長の役の折に、茶道を心得た全国の諸大名、豪商達が約七ヶ年にわたり西肥前の名護城に滞在したことによって著名になった。
ことに武将でもあり、茶匠であった古田織部重然は唐津陶に着目し、茶陶としての直接、間接の指導を怠らなかった。
数多い古唐津系の窯場の中で、最も茶人織部の好みを反映し、「織部唐津」の様式を表現した窯は、武雄南部系に属する「小山路窯」である。
桃山から江戸初期に、小山路窯の製品は、伝世品として素晴らしい名器がいまもなお愛用され、古窯趾から出土する陶片は、いかにも織部唐津にふさわしい意匠文様で他窯の追随を許さない近代的な持味を多分に温存している。
今では、小山路窯の名は一部の研究家、茶人のみに知られているが、武雄領の御庭焼的な作風様式を保っている「小山路窯」の製品は、数多い古唐津の中で最も円熟した茶陶窯の格調をいまに伝えている。
しかし「小山路窯」は江戸中期頃に廃窯となり、昭和三十一年前後に日本陶磁協会の幹部や地元研究家によってその真価が普及された。
それを再興したのが江口勝美である。
現在は、伝統の鉄絵に新しい着画技法を取り入れ、草花文様を主とした和紙染技法も楽しむことができる。